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「全国学力テスト」をめぐって
 
犬山市教育委員会
 

 
(1) 犬山が「実施すべきではない」とした経緯
 
 05年12月、犬山では、校長会と教育委員会は、「06年度の学びの学校づくりプラン」の作成を始めました。人格の完成を目指し、自ら学ぶ力を人格形成の重要な要素と位置付けるこれまでの取り組みをさらに推し進めていくことを確認し合いました。
 こうした中、06年1月、「全国的な学力調査の実施方法等に関する専門家検討会議」は、この中間まとめ案には、競争原理の導入によって子どもたちの学力の向上を図るために全国学力テストを実施するという内容が記されていました。教育の場に競争原理を導入して失敗した例は、これまで国内・国外を問わずたくさん報告されています。この競争原理は犬山の教育観とは大きく異なり、国が進めようとしている教育施策に強い危機感を抱きました。そこで、「06年どの学びの学校づくりプラン」の中に、国の教育施策と犬山の思索を対比させることにより、犬山の教育についての考えとそれに基づく具体的な手立てを鮮明にし、国の教育改革の方向性について広く全国に問題提起することを考えました。
このことが2月23日の某商業誌に記事として掲載されたのをきっかけに、全国各地の新聞社やテレビ局などから教育委員会へ相次いで問い合わせがありました。
 犬山では、「全国的な学力調査」への参加について、定例教育委員会で何度も協議を重ねてきました。4月の時点では「保留」としていましたが、12月の定例教育委員会では犬山の教育理念に合わないことから「実施すべきものではない」としました。
 
(2) 犬山が「保留」を決めた後の推移
 
 犬山では、「06年度の学びの学校づくりプラン」を検討する過程で、国の教育改革の動向を注視していました。というのは、犬山の教育改革は「特区」だからできるという特別なものではなく、あくまでも義務教育制度に則り、どこの地方でも実現できる教育改革であり、義務教育のあるべき姿を閉めそうとするものだったからです。画一的な学力調査や教員評価は、犬山の教育についての考え方と大きく異なり、これまで犬山がすすめてきた教育づくりに逆行すると判断したからです。このままでは、地方の教育が揺れ動かされ、日本の教育がとんでもない方向に進んでしまうのではないかということを危惧したのです。全国学力テストに対する犬山の考えは、日本全国に大きな日門を広げました。これをきっかけに「全国学力・学習状況調査」や「学力」についての議論が全国各地で繰り広げられるようになり、教育について国民的な議論が展開されるようになってきました。
 犬山のことが報道された2日後、ある県で教研集会始まり、学力問題のシンポジウムが開かれました。ここでも、全国学力調査についての議論が行われ、この調査に対する否定的な意見が相次ぎました。英国在住のジャーナリストから、英国の現状について報告されました。その内容は、教師も子どもも試験に追われ、中には心身症になる子もいたり、教育に絶望して教壇を去る教師も表れたり、といものでした。
「全国学力・学習状況調査」に対する犬山の保留表明は、3月10日、文部科学省初等中等教育局教育過程課長である常磐課長からは、全国的な学力調査の実施に理解を求めようとする文科省の立場からの説明がありました。結果はもの別れに終わりました。その後、文科省の全国学力テストについての中間報告案が新聞紙面に報道された内容や、4月25日の「全国的な学力調査の具体的な実施方法について(報告)」を見ても、心配していた「公表の仕方」について、特に配慮されることはありませんでした。
 また、某新聞社から出されている週刊誌に教育改革を積極的にすすめている三つの自治体が紹介されました。
 一つめは、東京都品川区の事例です。ここでは「学校選択制」が導入され、保護者が学校を選択する際の指標として学力テストの結果が公表されています。そのため学校の序列化が進み、人気のある学校とない学校との格差が生まれ、予算の傾斜配分がされていることからますます学校間格差が拡大しているという内容です。また、「習熟度別指導」が積極的にすすめられていることから、ある学校では、発展クラスの子たちが優越意識を持つようになり、基礎クラスのことを軽蔑するような発言があったことからトラブルに発展し、学級崩壊や学校崩壊が進んでいるという内容です。学校選択制も習熟度別指導もどちらも競争原理に基づいており、教育に競争原理を持ち込むと大変なことになるということを教えてくれる顕著な例です。
 二つめは、原則として習熟度別を取らない犬山の少人数による学び合いの事例です。できる子もできない子も一緒になって、素直に認め合い、教えあいながら、仲間意識をもって学習することが、人としての「生きる力」を育み、学力の定着を図っているという例です。犬山では、多くの授業で4・5人のグループ学習を採り入れています。どの子も発言の機会を得て活躍できる場面を設定しているのです。犬山では、市独自の副教本もつくっています。02年度は小学校3年から6年までの算数、03年度は同じく理科、04年度は低・中・高学年別に国語の副教本を作成し、活用を始めました。市が小中学校教師全員を対象に実施した少人数指導についての調査では、小学校で80.5%、中学校60.7%が学習に関して興味や関心のある子が増えたと答えています。不登校児の割合も、犬山では00年から年々減少し、全国小学生の0.36%に比べて0.12%と低い数値を示しています。犬山の少人数学級・授業、副教本の成果は目に見えて表れているのです。
 三つめは京都市の事例です。学校選択制を採らず、地域と学校との密着度を高める一方で、授業力アップを目指す教師のために「カリキュラム開発センター」を設置し、質の高い授業のビデオや先進的な授業プラン一万点を所蔵し、夜九時まで開いており利用者が後を絶たないそうです。制度の問題ではなくやり方の問題であり、キチッとやれば学力向上につながるという事例です。
 最後に「しんどい背景を抱えた子を丁寧にすくい挙げていく取り組みこそが公立校に求められている。財政的な支援も必要だ。」とまとめているのが印象的です。
 こうした事例も考慮しながら、犬では4月の定例教育委員会において、全国学力・学習状況調査の実施を「保留」としたのです。
 犬山は単純に国や県に反対しているのではなく、犬山独自の教育実践を背景に問題提起をしたのです。小泉政権が進めてきた三位一体の行政改革の最大の産物は「勝ち組」「負け組」に象徴される「格差社会」の形成でした。この競争原理を教育の場に持ち込むことは、「できる子」と「できない子」や、テストの平均点の「高い学校」と「低い学校」などの二極化を勧めることになります。義務教育のねらいは「教育の機会均等」「教育水準の維持向上」にあります。すべての子どもに学びを保障することが義務教育の役割であるはずなのに、学校内や学校間に格差を生んでよいものでしょうか。犬山では、少人数による学び愛の授業を積極的に進め、すべての子どもの人格形成と学力保障に全力を注いできました。この自信と誇りから「保留」としたのです。
 
(3)「全国的な学力調査の実施方法等に関する専門家検討会議」での議論
 
 全国的な学力調査の実施方法に関する専門家検討会議では、この調査を実施するかしないかという議論を行うことなく、実施することを前提で議事が進められました。反対意見が出ても議論が深まらず、あくまで「全員対象」を前提に審議が進められたのです。全国的な学力調査を全国の小学校6年生、中学校3年生の全児童生徒を対象に実施することは大前提であったということが分かります。 
 この専門家会議で重要な立場にある方は、「全数調査なら、子ども個人や各学校、教育委員会の実態を細かく分析できる。県レベルでは差がなくても、市町村、学校レベルだと差が見えてくるはずだ。」と述べています。学校現場が必要とするのは、県レベルでも市町村レベル・学校レベルでもなく、子ども一人一人の結果です。子ども一人一人の結果が得られてこし、この子には今後どのような指導が必要なのかということが見えてくるのです。学力調査の最大の目的はここに置かれるべきであり、各学校の教育課程に基づいて実施されなくてはなりません。また、「『副作用が怖い』といって実施しなければ本筋が見えなくなる。」とも発言されており、学校現場で実際に何が起こっているのかということが本当に理解されているかどうか疑問です。全国的な学力調査が学校現場に副作用をもたらすどころか、それ自体が有害だと言わざるを得ません。
 
(4)全国学力テストをめぐる世論の形成
 
 全国学力テストの実施をめぐり、全国各地からさまざまな意見が新聞紙上に取り上げられました。国の責務として子どもの学力を測定しようとするのなら、全数調査でなくとも抽出調査で十分なはずです。子どもたちを競い合わせたり、学校間を競争させたりすることは、決して学力向上の手段とはならないのです。国として今やるべきことは、少人数学級などの教育環境を整備するとともに、教師が授業に専念し、子どもたちに質の高い授業を提供できる教育条件を整備することです。それには思い切った財政配分が必要です。
 現在、東京都では、都の統一テストに加えて、区ごとに学力テストが実施されています。多くの自治体が学校選択制を採り、保護者が学校を選択する際の指標として域内の学校のテスト結果を公表しています。先日、ある区が「学力テストの結果によって教育予算の配分に差をつける」という内容の記事が取り上げられました。おそらく全国各地から非難があったでしょうし、文科省からの指導もあったでしょうが、数日後にこの案は撤回されました。専門者会議では、「過度な競争を招かないように」としながらも、「市町村が説明責任を果たしたり、学校が学校評価の指標として結果を公表したりすることについてはそれぞれの判断に任せる」としていることから、学校間や地域間の競争が激化することは免れません。また、国語、算数・数学の2教科のテスト結果だけが地域や学校が評価する際の指標として公表されるとなれば、それがそのまま地域や学校の評価となり、児童生徒や保護者、教師の評価として扱われてしまうことになるのです。文科省は、結果について「学校別に順位を付け公表するようなことをさせるつもりはない」と述べています。しかし、市町村自らの公表については「序列化や過度な競争をあおらない工夫を求める」とした上で「それぞれの判断に委ねる」としていることは、序列化や競争が起こった場合の責任を市町村や学校に転嫁しようとする姿勢が感じられてなりません。
 某新聞報道によると、全市区町村長の84.2%が学力テストへの参加の意向を示し、半数(全体の42.8%)は結果の公表を予定しているようです。多くの首長は公表を念頭に参加を考え、中には、参加する理由として、「国が一律に実施するもので、参加が当然」と回答した首長もいます。教育の地方分権が推進される今日にあっては、地方自治体の首長は、まず「自分のまちの子どもは、自分たちで育てる」という強い意思を持ち、どういう子どもをどのように育むのか人造り理念を明確にすることが重要です。「国がやるから参加するのが当然」というのは、教育を国任せにしいかにも主体性が感じられません。
 公立小中学校の運営は、教育の地方自治と学校の自立を基本としなければなりません。市町村教育委員会が学校管理権を有するのは、第一に市町村を単位とする教育の地方自治を確保するためであり、第二に学校の自立を制度的に支えるためです。したがって、教育委員会と学校は相携えて地域の教育をつくり出す関係にあります。犬山では、「犬山の子は、犬山で育てる」という教育理念のもと、市教委は、その実現に向けて教育環境や条件整備に努め、子どもたちの人格形成と学力保障に努めてきました。この自信と誇りが「犬山には全国一斉の学力調査は必要ない」と言わせているのです。犬山の教育改革は、教育委員会と学校のあるべき関係を探究しつつ、国や県の役割を明確化するとともに、今後の義務教育の在り方を示し、教育の地方自治と学校の自立を真に実現しようとするものです。地方分権時代における教育行政の原点は、学校の自立を支援するという市町村教育委員会の役割の自覚です。これまで、国・県と市区町村との間に上下関係が形成され、国の施策に対して、県や市町村は従うのが当然という考えが形成されてきました。地方分権時代においては、それぞれの自治体が主体的判断し決定することが重要です。全国学力・学習状況調査に参加するしないについては、自治体が判断し決めることです。国の教育施策が、地方の教育づくりの妨げになるのであれば、地方は「ノー」と言わなければいけないのです。
 国は、全国学力・学習状況調査の実施を07年4月24日と決定しました。犬山が、この調査に対して警鐘を鳴らした当初、マスコミは大きな関心を示していましたが、市外の学校や自治体は冷ややかな受け止め方をしていました。しかし、実施時期が近づくにつれて、この調査の含む多くの問題点にやっと気づきはじめ、不安を抱くようになってきました。
 今、日本の教育が歩もうとしてる方向は、すでに失敗が証明されているイギリスが歩んで来た教育そのものなのです。イギリスでは、サッチャー政権のもと、学力向上策としてナショナルカリキュラム(全国共通の教育課程)とナショナルテスト(イギリスの全国学力テスト)を実施しました。学校選択制を全国的に実施し、保護者が学校を選択する際の資料としてこの結果を公表しました。そして児童生徒の集まり具合で教育予算を配分するという教育施策を進めました。その結果、学校間格差が拡大し、学校現場が荒廃しました。現在は、テストの結果が低く児童生徒の集まりの悪い学校に手厚く予算配分をするよう方向転換が図られています。また、ナショナルテストを廃止したり、結果の公表を取りやめたりするところも出てきているのです。
 
(5)「競争」がもたらすもの
 
 小泉前首相が進めた三位一体の行政改革を引き継ぎ、安倍政権がスタートしました。安倍首相は、教育再生を最重要課題に掲げ、首相の私的諮問機関である「教育再生会議」を発足させ、国レベルでさまざまな教育改革を推進しようとしています。その手始めが、先の教育基本法の改正であり、全国学力テストの実施です。
 国が全国学力テストを実施することになったもともとの背景は「経済財政運営と構造改革に関する基本方針2005」にあります。この中には「競争と選択の導入の観点をも重視して、今後の教育改革を進める」と記されています。全国学力テストは、まさに競争原理の導入によって児童生徒の学力向上を図ろうとするものであり、教育界の必要性から実施するのではなく、経済界・財政界からの要請があって実施するものなのです。学びの動機づけは、自ら学ぶ喜びです。外から競争という刺激を加える学力テストによって、子どもに学ぶ喜びを体得させることはできません。ましてや競争によって学力の向上を期待することなどできないのです。
 競争原理は、教員社会の中にも「教員評価制度」として導入されようとしています。国は、教師の専門性や資質・能力を向上させようと教員評価制度を実施しようとしています。教育は自己目標を立て、その目標が達成できたかどうか自己評価を行います。それを基に、教頭や校長が評価を行ない、その結果を昇進や昇級などの処遇に結びつけようというのです。教師の目線は、本来子どもに向けられるべきものです。しかし、評価が処遇に結びつくとなると、教師の目線は評価を行う教頭や校長に向けられることになりかねません。もともと、教師は教育に対する意欲と情熱を秘めています。教育改革に成功した他国の例を見てみますと、フィンランドやシンガポールなど施策に違いは見られますが、共通して言えることは、教師に対して絶大な信頼を寄せているということと、教育への投資を惜しまないということの2点です。教師に対する信頼は、教師に自覚と責任を与えます。教育は、教師の人格と子どもの人格がぶつかり合う場です。教える側の教師と教わる側の子どもの信頼関係があって成り立つものです。教育改革の根底に、教師に対する信頼感がなければ、どのような教育改革を進めようとうまくいくはずはありません。
 また、この競争原理は「学校選択制」という形で、学校間や地域間の格差を生もうとしています。国は、全国学力テストの結果を学校評価の指標として公表させ、保護者が学校選択をする際の資料を提供させようとしています。学校選択制の全国的な拡大は、やがて子どもの集まらない学校が「統廃合」の対象になってしまうのです。
 今日言うの場に競争原理を導入するとどういう結果を招くかということについては、すでに80年代後半、イギリスにおけるサッチャー政権のもとでの教育改革が成功しなかったことが如実に物語っています。それなのに、なぜ今日本が失敗に終わったイギリスの教育改革の後をたどろうとしているのか不思議でなりません。教育にやり直しは効きません。国が推し進めようとしている教育改革が失敗だったと気づいてからではもう手遅れなのです。
 
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