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我が子のひき逃げ被害から思う
 
匿名希望(中学生の母親)
 
 
 
 ある朝、娘から「お母さん、ごめんなさい。私、学校に来る途中、自転車で車にぶつかっちゃった。」とすまなそうな声で電話がかかってきました。それは、中学生の娘が自転車登校中交通事故にあったという報告でした。幸い怪我は打撲程度でしたが、この事故は私たちに「中学生という時期の子ども」について多くのことを考えさせることになりました。
 
ケガよりも大きな傷
 
 自転車通学の娘は、いつも通り車道左側を走行中、停まっていた右折車が急発進したため、横断歩道上でこの車に接触し自転車ごと横転しました。本人は、「車にぶつかった」というできごとに動転し、「とんでもない状況になっている自分」が悪いと思い込んでしまったようです。自力で起き上がったところに運転者が車から降りてきたので、思わず「すみません。」と言いました。でも相手は「大丈夫?」としか言わなかった、相手が謝らなかった、そのことでますます自分が悪いと思い込んでしまったようです。さらに、学校の直前で多くの生徒が見ていたこともあって、恥ずかしくて早くその場から逃れたいという気持ちが大きく、普通に歩けないほど痛かったのに「大丈夫です。」と答えてしまいました。目撃していた方が、「救急車を呼んで警察に連絡するのは運転者の義務、相手は未成年なんだから。」と言ってくださったそうです。しかし、運転者は、忠告してくれた目撃者が、自分の車を邪魔にならない所に移動している間に、名乗ることもせず走り去りました。
 娘は混乱して事故の様子をうまく説明できなかったのですが、目撃された方が、「事故にあった生徒さんは、言えば叱られると思って学校にも言えず、痛いのを我慢しているのではないか。」と心配して学校に電話をくださったので、正確な情報が分かりました。そう、確かに、娘は家に電話をするまで学校の誰にも話していませんでしたし、私への第一声も「お母さん、ごめんなさい。」でした。「しまった、とんでもないことになった」の思いがどれほど大きく、客観的に考える力を萎えさせてしまっていたのか、怪我よりも大きな傷を負ったのだと思います。
 
混乱していく娘
 
 ひき逃げ事故ということで、翌朝事故現場で検問をすることになりました。届けた交番でも、事故当日の現場検証でも、検問時にも、娘は何度も何度も車の色や形を訊かれました。目撃証言同様「鶯色」「薄い緑色」と言っていましたが、車種については車に興味がないので、ああいうの?こういうの?ときかれるたびに、混乱がひどくなって行くようでした。最初は、左腕にぶつかったと言っていたのですが、娘が答えているような車の形だと左腕には当たらないはずと警察官から言われ、「左腕に当たったような気がした」「良く覚えていない」と変わって行きました。
 検問当日、女性の警察官が娘の気持ちをほぐすようにいろいろなことを話しかけながら、検問所から少し離れた所で次々来る車を見ていました。「あの車みたいな色?形はどう?」と訊かれて、娘がきっぱりと「あの色じゃない、あの車ではありません。」と答えた車の運転者が、前日の事故は自分だと認めました。娘は自分の記憶にすっかり自信をなくしてしまいましたが、その車が娘の左腕に当たって倒されたことは、検証で確かめられました。   加害者が分かり、その状況も確認でき、警察も学校も良かったと言うのですが、娘はパトカーが何台も出て物物しく検問をしたことで、ものすごく大変なことを自分はおこしてしまったと、逆につらくなるばかりだったようです。「こんなにたいへんなことになるなら、しなくてよかったのに。けがだってたいしたことない」と何度も何度も言っていました。しかし、その一方で、自転車に乗ることをためらい、交差点では車が停まっていてもなかなか渡ることができない娘の現実、どうケアすればいいのか、親は複雑な思いでいました。
 本人は被害者であるにもかかわらず、この後の事情聴取は、さらに怖く、つらいものになってしまいました。娘は現場での検証以来何度も、「あなたに過失はない」と警察から言われていました。しかし、事情聴取の最後に、加害者に対しどうしてほしいか尋ねられると、「私の方が悪かったんです」と答えました。これには警察官もビックリして、あなたは悪くないのだと振り出しに戻って説明をし直し、もう一度同じ質問をしました。今度は、取調べに当たった警察官が「こうでいいかな?」といいながら娘に代わって言葉を選び、娘がそれにすべて同意する形になりました。それをつないで、さも娘自身が書いたかのような文章が読み上げられ、それも娘は承諾し調書が作成されました。
 
子ども特有の心のありよう
 
 帰り道、娘に「どうして自分が悪かったって言ったの?」と訊きました。すると、「事情聴取をする部屋は狭くて、机を挟んで警察官と1対1。お母さんは後ろに座っているから全然見えないし、隣からなんか大きな声が聞こえてくるし、早く終わらせたかった。何でもいいから早く帰りたかった」と言うのです。大変細かな事実確認があって、どうもそこで気持ちがさらに追い込まれたようです。
 たとえば「自転車からだって、停まっている車の運転手がどっち向いていたかわかったでしょ?その時、どっち向いていた?」と訊かれ「見てないから分かりません」と答えると、「見なかったの?見えなかったの?」と、畳み掛けるように質問されました。確認のための言葉が、責めの言葉に聞こえたようです。ふだん大人に質問される場は学校です。学校では、訊かれたことに答えないことは、よいことではありません。また、先生は正解を知っていて質問しているのですから、先生が用意している正解にできるだけ近づけて答えていくことが生徒には求められています。「分からない」と答えるだけでもしんどかったのではないでしょうか。そこをさらに二者択一で訊かれ、どっちに答える方が正解なの?本当のことを言っても大丈夫?きっといろいろなことが頭をよぎったことだろうと思います。
 おとなもこういう場面では同じように追い詰められて行くかもしれませんが、娘は子どもです。おとなの言うことにどうしても同調してしまい、言われてみるとそうだったかもと思い込みやすいのが、子ども特有の心のありようです。子どもが自分の行動を客観的に事実として話すのは、とても難しいことだと思います。子どもの頃の私にも覚えがあります。
 今回、娘は被害者でした。それも、目撃者がいて、娘の方に過失がないことが認められている状況で、これだけ追い詰められ、自分が悪いと思いこんでいるのです。もし、目撃者がいなかったらどうだったでしょう。実は娘から第一報を聞いた時、私は急いだ娘が無理に渡ろうとして接触したのではないかと思ってしまいました。娘の第一声が「ごめんなさい」だったからです。責めこそしませんでしたが、親も学校も心のどこかで「子ども=飛び出し」の思い込みを持って聞いていたのかもしれません。目撃者がいなくても、娘の証言から娘の正当性を証明することができたでしょうか。また、もし仮に娘の側にも過失があったとしたらどうだったでしょうか。この娘の素行が悪く学校や警察に予断があったらどうだったでしょう。今回のように、実際は悪くないのに「私が悪い」と言ってしまった場合、「あなたは悪くない」と警察の方がやさしく聞きなおしてくれたでしょうか。不利な要素があったらどうなっていたかと思うと、本当にぞっとします。逆の立場にならないと誰がいえるでしょうか?
 中学生のなかにある子どもの特性。中学生であっても子どもにとっては、事件の時の自分の行動を振り返り客観的に話すことは、こんなにも困難なことなのです。その事を思い知りました。そして証言が引き出されるたびに、深く傷ついていくことをも知りました。子どもをおとなと同じに扱えば、子どもは傷つくばかりです。
 
もうひとつの納得できないこと
 
 実は、この事故ではもうひとつ納得できないことがありました。13歳の中学生の娘が子ども扱いされるために、謝罪さえしてもらえなかった不可解さです。
 この事故の運転者は、目の前にいる当の娘に怪我の状態を尋ねても、謝ることはしませんでした。事故当日だけでなく、検問で見つかった時も、事情聴取前に自宅に謝りに来た時もです。事情聴取後1通の手紙が届きましたが、宛名に娘の名はなく、娘に向けた謝罪の言葉はありませんでした。謝罪は、打撲を負い心を痛めている娘にではなく、親に向けたものでした。示談の相手は本人ではなく親権者だから、というのでしょうか。
 13歳、中学生。警察ではおとなと同じ扱いを受けて傷つき、一方で子どもだからということで、謝罪もされない存在。依存と自立の間で揺れ動く多感な時期。成長途上で人格としては未熟なこの年齢を、大人の都合で、時にはおとな同様に判断できる人格として扱い、時にはまるで赤子と同じようにその存在さえ親の付属物のように扱われてしまう。それがこの年齢の子どもに対する日本の社会の現実なのです。しかしそれにしても、この理不尽で矛盾した状況そのままに、この時期の子どもたちが警察で対応されることに、私は大きな危惧を感じます。それは、被害者であっても加害者であっても同じです。
 そして私はこの事故を契機に、改めて「少年法改正」の問題点を考えたいと思いました。
 
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