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子どもが人間として全面的に発達するために必要な人間関係を奪い、
子どもをさらに窮地に追い込む
教育基本法改正法案を廃案にしよう!
 
世取山洋介(DCI日本支部事務局長/新潟大学助教授)
 
 
はじめに
 
 去る4月28日に閣議決定され、国会に提出された教育基本法改正法案(以下、政府法案)の、衆議院教育基本法に関する特別委員会による審議が去る5月24日に開始されました。
 政府法案には子どもの権利条約(以下、権利条約)から見て、政府法案には少なくとも次の3つの重大な欠陥があります。政府法案は、子どもが人間として全面的に発達する条件を奪い、かつ、子どもをさらに窮地に追い込むものと言わなければなりません。
 
1 政府法案の抱える欠陥(1)−子どもの人間としての全面的発達に不可欠な大人との相互的な関係を子どもから奪うもの−
 政府法案の抱える欠陥の第1は、それが、権利条約の中心に座る子どもの成長発達権と子どもの意見表明権と矛盾する考え方を規定していることです。
 子どもの人間としての全面的発達を権利として承認した権利条約は(6条、29条)、子どもの人間的成長発達に不可欠な、そこで子どもが主体的でありうる大人との相互的な人間関係を権利として保障しています(12条)。これは、子どもが自ら出す要求に日常的に適切に応答してくれる大人との人間関係の中でこそ、その徳性を含めた人間性全体が発達しうるのだ、という考え方を示したものです。それは、人間の発達に関する科学の成果を十分に反映したものとなっているのです。そして、このような考え方は、最近では、次のような考え方を生み出しています(国連子どもの権利委員会一般的注釈第7号「乳幼児期における子どもの権利の実施」、参照)。子どもが発する声に応答しながら子どもの養育に当たるという責任を果たすためには、大人は国による干渉から自由でなければならないし、また、国は大人がその責任をまっとうできるような条件を整備しなければならない、と。
 しかし、政府法案は、子どもの人間としての全面的な発達よりも、子どもの「国民」への育成を重視しています。しかも、国民として「必要な資質」(法案1条)を20項目以上にもわたる徳目として定めています(法案2条)。そして、現行教育基本法の10条1項の「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行なわれるべきものである」との規定のうち、教育の直接責任を削除し、「この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべき」との文言に置き換えています。このため法律基づきさえすれば、教育に関して何でも行政が命令することができるようになっています。
 教育は、子どもや親を中心とする市民が出す日常的な要求に応える相互的な作用から、法律を執行する作用へと転換させられてしまっています。つまり、具体的な生活や環境の中で子どもが持つに至る要求から教育を始動させるのではなく、国が法定化した徳目を上から子どもに教化していくことや、法律に定められた教育内容を子どもの要求とは無関係に執行していくことが至上命題とされているのです。ここでは、「ねぇねぇ」という子どもからの問いかけに「なーに」と大人が耳を傾けるという応答的な関係が存在する余地はありません。大人ーー正確には、国家のエージェントとなることを強要される教師と親――が「これを学びなさい」「この徳目を身に付けなさい」「この徳目を持っていることを態度で示しなさい」と子どもに一方的に要求する権威主義的な関係が強要されることになります。
 日本の子どもたちが抱える、不登校、いじめ、荒れ、非行などの困難は、大人との応答的な関係を奪われ、その主体性を奪われていることに起因していることを、DCI日本支部は訴えてきました。国連子どもの権利委員会(以下、権利委員会)もまた、その訴えの確かさを認めてきました。政府法案が成立し、権威主義的な関係が子どもの日常生活を覆ってしまえば、子どもたちが直面する困難は解決するどころか、かえって、より大きなものとなります。問題の深刻化を招くだけです。
  
2 政府法案が抱える欠陥(2)――日本の教育制度の高度に競争主義的性格をさらに激化させるもの――
 政府法案の抱える欠陥の第2は、国際社会から突きつけられている課題にまったく応答しようとしないばかりか、国際社会から懸念を表明された問題をより深刻にすることをその内容としていることです。
 権利委員会は2度にわたって日本の教育制度の「高度に競争主義的な性格」に対して懸念を表明し、それが子どもの「発達の歪み」をもたらしているとさえ指摘しています。権利委員会は、04年に行なわれ第2回政府報告審査の後採択した最終所見において、競争主義的性格を改革するために取られるべき具体的な措置、すなわち、すべての子どもが高等教育を受けられるようにするために求められるカリキュラム改革を市民・NGOと共同して実行すべきことを日本政府に勧告しているのです。
 しかし、日本政府はそのような措置を取ることはしませんでした。そればかりか、政府法案は、現在文科省が進めている教育制度の競争主義的性格を強化するための施策を自由に進める無制約の権限を文科省に与えるものとなっています。政府法案では、文科省に、教育内容に関する「総合的」な施策策定・実施権限が与えられ(法案16条2項)、教育内容に関する国家的基準の設定も、基準の達成度の学力テストによる測定も、学力テストを軸にした自治体間、学校間の競争の組織も、学力テスト成績に基づく財政配分も、「総合的」という名のもとに、何でもできることになっているのです。
 これまでの国会審議で、教基法の見直しを提言した中央教育審議会において、子どもの権利条約に関する議論は一切なされなかったことが明らかにされています(5月30日の市川昭午参考人――元中教審委員――の発言)。また、麻生外務大臣は、権利条約に関する質問をされたにもかかわらず、教育勅語を復唱して応答していました。これは、国際社会に対して挑戦的な姿勢を示したととられても仕方ありません。権利条約を批准し、その国内実施を国際社会に対して約束した国の政府が取るべき姿勢ではありえません。
 
3 政府法案の欠陥(3)――親の第一次的養育責任と障害児教育に現れている子どもの権利条約の主旨を歪める文言のつまみ食い――
 政府法案の抱える欠陥の第3は、権利条約から文言や規定を借用しながら、その本来の趣旨を歪め、まったく異なるものにしてしまっていることです。
 権利条約は、親にその子どもの第一次的養育責任があることを明らかにしています(18条)。加えて、その子どもに対する養育責任を優先的に履行するという意味での自由が親に認められ、国はそれを尊重しなければならないことも明らかにしています。特に、子どもの思想・良心や、表現活動など、子どもの価値形成に関わる事柄については、親こそが最終的な責任を取れるのであり、国家はそれにみだりに立ち入るべきでは無いとの考え方を権利条約は取っています(5条)。
 政府法案は、「父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有する」と規定し、その直後で、「生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るよう努める」義務を親に課しています(10条)。しかし、権利条約5条に定められている国の義務、すなわち、子どもに指導・助言を与える親の責任、義務および権利を尊重すする国の義務は、政府法案には規定されていないのです。これでは、"つまみ食い"と言われても仕方がありません。しかも、親は、政府法案2条において国定された徳目を国に代わって子どもに強化するための国のエージェントとして位置付けられてしまっているのです。子どもは学校で教師との間の応答的な人間関係を奪われるだけでなく、家でも、親との間のそのような関係を奪われてしまうのです。
 また、政府法案は4条2項で、「国及び地方公共団体は、障害のある者が、その障害の状態に応じ、十分な教育を受けられるよう、教育上必要な支援を講じなければならない。」と規定し、障害児の権利に配慮を払っているようにも見えます。しかし政府法案では、差別禁止事由の中に「障害」が明示されていません(4条2項)。
 権利条約では、差別禁止事由として「障害」が明示され(2条)、その上で、障害児に対する特別の教育がなされるべきことを国に命じています。これは、障害を持っていることが、健常児から分離されて教育されて良いわけでも、差別が禁止されているから障害児の特別のニーズが無視されて良いわけでも無いことを示しています。政府法案は、特別な支援だけに言及して、分離教育に対する歯止めをまったく用意していないのです。
 
4 改正の必要は無いし、もし改正するのであれば《準子どもの権利条約的》性格を教基法に付加することこそがそのあるべき姿
 私たちは、現行教育基本法の中には、権利条約の精神が萌芽的に書き込まれているし、政府法案よりもずっと国際的水準に近く、現在にあってもなお新しい精神がその中に含まれているものと考えています(教基法1条、2条)。教基法を改正する必要はなく、権利条約の考え方に基づいて教基法をより豊かに解釈し、日本の子どもの抱える困難を解決していくことこそが求められているのです。
 それでもなお、教基法を改正するのであれば、憲法と国内法の間にあって発展して来た権利条約をはじめとする国際人権と、教育に関連する国内法とを「架橋」する規定を導入すべきです。《準憲法的》性格に加えて、《準権利条約的》性格を教基法に与える改正であれば、それは大いに歓迎されるべきです。
 しかし、与党が提出した政府法案はこのような改正では決してありません。それとはまったく逆に、権利条約および国際人権とは矛盾し、日本にいる子どもたちをますます窮地に追いやり、その人間としての全面的な発達の可能性を子どもたちから奪うものです。このような法案の成立を許容することは絶対にできません。
 
 
    

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