子どもの権利のための国際NGO DCI日本支部
   
 ホーム子ども関連論文 > シンポジウム・1

 
 


   ・ その歴史
   ・ DCIの現在
   ・ 日本支部の誕生
   ・ 組織構成
   ・ 役員の紹介
 
   ・ DCI-6つの視点
   ・ プロジェクト
   ・ 各委員会
   ・ 書籍・報告書
   ・ イベント案内
 
   ・ 子ども問題NOW!
   ・ DCI本部ホット情報
   ・ CRCニュース
 
   ・ DCI公式見解&提言
   ・ 子どもの権利条約
   ・ CRC一般的注釈
   ・ 国連CRC最終所見
   ・ 子ども関連論文
 
   ・ DCI会員募集
   ・ 各委員会への参加
   ・ 事務局ボランティア
   ・ セクション設置
    
   ・ お問い合わせ
   ・ メール
   ・ よくある質問
   ・ リンク集
   ・ 当サイトについて
   ・ サイトマップ
 


シンポジウム「教育基本法『改正』推進勢力の分析と重要論点の検証」
2006.8.12
第1セッション
 
 教育基本法「改正」推進勢力の配置状況と、
164国会における審議・論戦の特徴
  
<世取山 洋介 (新潟大学)>


 今日私が話すのは、教育基本法改正勢力の分析と、国会における審議の状況及び、今後の課題についてです。
 このシンポジウムの目的は、秋の臨時国会に向けて、取り上げられている論点の所在をはっきりさせたいということと、その上で、夏休みにおける各団体の情報収集・分析を刺激したい、というところにあります。
 もう一つは、国立大学法人法の施行により全ての国立大学が法人化され、その中で、教育基本法「改正」の先取りともいえる事柄が進行しています。しかし、大学関係者と初等・中等教育関係者との間の情報交換・分析というのは、十分に行われてきませんでした。そこで、この期に、初等・中等教育と高等教育との間の連携をつくる、その第一歩にしたいというのが、第二の目的としてあります。
 このシンポでは、国会であまり焦点が当てられなかった「教育の自由」について、十分に光を当てたいと思っています。今国会では、自民・民主が競い合うかのように、立憲主義に敵対するような意見を相次いで出すことによって、教育基本法改正の審議というよりは、むしろ、憲法改正に向けての審議というような状況が生まれてしまいました。今行われようとしている改革についての教育的な当否を巡る議論を活性化させる必要があるというのが、問題意識です。
 第二セッションでは、改正教育基本法2条が、愛国心以外にも、広い観点から2条が教育に与えるインパクトについてはっきりさせるということを行います。第三セッションでは、教員評価、学校評価の問題について検討します。第四セッションでは、学力テスト体制と教育における格差の問題について検討します。そして第五セッションでは、大学法人化の問題を取り上げます。
 
●第一セッション本論
 
 教育基本法「改正」推進勢力の分析ということですが、ここでは、今回の教育基本法「改正」の動きを、歴史の中にまずおいてみて、その特徴をはっきりさせたいと思います。
今回の改正に向けての動きですが、これまでの戦後六十年にわたる教育基本法改正の動きと比較して、非常に大きな違いをもっているといえます。今までなされた教育基本法明文改正の試みとしては、一九五六年に臨時教育制度審議会設置法案というのが国会に提出されまして、その中で、審議事項に教育基本法改正を含むということが、文部大臣(当時)から指摘されていたということがあげられますが、このときは、教育基本法改正案を作るまでにも至らず、頓挫しました。
 その後、明文改正の試みはあまりなされず、通達や、法解釈の変更等、いわゆる非明文改正の形で、教育基本法改正の動きは進められました。
 ところが、今回の改正の動きの特徴は、単に「非明文改正」から「明文改正」に移ったというだけではなく、質的には現行法の廃止と新法の制定をその内容としているわけです。「非明文改正」から「現行法の廃止・新法の制定」という、巨大な跳躍が行われようとしているのです。問題は、このような巨大な跳躍が、どのようにしてなされたのかということです。これが、改正勢力の動きを理解する上での重要な点であると思います。
 
●四つのポイント
 
 一番目のポイントは、財界が教育基本法改正をターゲットとして主体的に動き始めたことです。95年に、日経連(当時)が出した「新時代の日本的経営」という提言において、三種類に労働者を区分けして、期間の限定のない労働者を一番のエリート層のみに限定して、残り二者については、有期雇用にすることで、日本の労働者の構成を大幅に代えていくと、それに併せて教育制度をスリム化したいというこういう要求が出されました。これを皮切りに、九五年以降もこのような要求が財界からされていて、これが一つポイントとなっていると思います。
 2番目のポイントは、新自由主義の本格化により生まれる、国民統合の危機などへ対応するため、新保守主義が補完的勢力として新自由主義と結合した、ということがあげられます。「日本のフロンティアは日本の中にある」(2000年1月)という、当時の小渕首相の私的諮問機関である「二十一世紀日本の構想懇談会」から出された文書では、新自由主義だけが主張されて、例えば、「日本人が『日本のよさ』を誇るにしろ、それは特異に閉じこもることではなく、普遍へと開かれたものでなくてはならない。そのためには、立ち止まって日本のよさをあげつらうよりは、世界の未来に向かって、全身をあげて参加することがまず大切ではないか。」と、国家主義的イデオロギーに対する批判が展開されていました。その後、小林よしのりたちとの激論があって、それを経て、2000年12月に「教育改革国民会議最終報告17の提案」というのが出されるわけですが、そこではじめて新自由主義と新保守主義とが合体したわけです。ここで両派が、多少矛盾はあるもののタッグを組んだと、これが特徴です。
 第3のポイントは、「経済財政諮問会議」を主体としたトップダウン方式の新自由主義改革の実行体制が実質化したとことがあげられます。
 最後に、第4のポイントとして指摘したいのは、教育における新自由主義が、新たな段階に突入したようだということです。新自由主義については、今まで、臨教審のいうような、「個性化論」と「市場化論」、特に学校設置主体の多様化と学校選択制の導入ということがいわれていたわけですが、そういう市場をベースとした新自由主義ではなく、国家のコントロールを内在化させた新自由主義へと、次第に形を変化させつつあるというのが、ポイントとしてあると思います。といいますのは、臨教審流の市場を基礎にする新自由主義というのは、だんだん変わってきておりまして、最近では、学力テストを基礎にする新自由主義、すなわち、国家が定めたスタンダードに基づいて学力テストを行い、それにより競争を組織して、教育をコントロールしていくという新自由主義に変化していると私には見えます。
 これら4つのポイントがあって、「非明文改正」から、「現行法廃止・新法制定」への跳躍がなされたのであろうと、私は考えます。
 
●新自由主義の新しい段階への突入
 
 80年代中盤から、アメリカにおいて新自由主義といった場合には、単純な市場化論ではなく、むしろ、国家が貨幣の最大所有者として持っている金銭支配力をどうやれば徹底できるのかという観点からの理論の方が強くなっています。これは、New Governanceという理論と、その中に含まれるPrincipal Agent Theory(主人・代理人理論)という理論に代表されるものです。これらの理論の内容を見ると、New Governanceの内容は、国家の役割を金銭の提供だけに限定して、サービスの提供を第三者に行わせる、というものです。ここで、金銭提供主体である国家とサービス提供主体である第三者を、対等な当事者間の自由な意思に基づく関係ではなく、「金を持っている人間が金を持っていない人間に金を渡し、自分の意思を徹底させる」という関係を結ぶことが行われます。
 その上で、New Governanceは、Principal Agent Theoryを導入します。この理論は、財布のひもを握ったものの(主人)の意思が代理人に徹底しない原因を追及して、それを克服するための理論なのですが、この理論は、その原因として、一つには、「情報の非対称性」をあげます。すなわち、働いている人間の方が働いている内容についてよく知っているので、主人が代理人をコントロールしきれないということです。二つ目の原因としては、主人の目的を代理人が内面化せず、自己の利益を図って主人の目的をないがしろにすることをあげます。
 
そして、この理論は更に、その克服の方法を四つほど提唱します。
@労働の方法を徹底的にスタンダード化する。
A代理人間を競争させる。ここでは代理人をできるだけ多様にして競争を激化させます。
Bスタンダードに基づいて、代理人を評価する。
C評価に基づいて、賞罰を与える。できの悪い代理人には金をあまり与えず、できのい い代理人には金を傾斜配分する。
 
 このようなことを行えば、主人は代理人の労働をコントロールできるし、代理人は主人の目的を内面化して、きちんと働く、こういうロジックなわけです。
これに基づいて、教育における様々な仕組みを作り直すと、大体次のようなパッケージで教育ができあがることになります。
 一つは、学習指導要領の中に複数の到達目標を設定する。今政府内では、学習指導要領の中に、A・B・Cといった形で、到達度を別にしたものを書くことにしたらどうかという議論が、内閣府あたりからはっきり出てきています。そして、Aランク、Bランク、Cランクのどの程度まで到達したかを測る。そのために、学力テストを悉皆方式で実施する。そして、学校ごとに学力テストの結果を公表する。それと併せて、学校設置主体についての規制緩和を行いできるだけ多様な設置主体が教育に参入できるようにして競争を激化させる。あるいは公立学校を実質的に法人化する。例えば、学校運営協議会というものや、高校における指定管理者制度の導入といったのも、こういった形の施策の一つです。最後に、学校選択制度を導入し、多く生徒を集められた学校はより多くの資金を得、生徒を集められなかった学校は、人件費等の基礎的経費もでないような状況でがんばりなさいと、このような形へしようという施策で成り立っていると思います。
アメリカでは実際、2001年にできたNo child left behind Lawという法律がブッシュ政権によりつくられたのですが、この中には、今述べた教育のパッケージが全て導入されています。
 その上で、日本においてこのような政策パッケージが中央政府レベルでどのように展開してきたのかをみていきますと、資料の後ろに表がついていますが、これは、新自由主義を構成するそれぞれの要素が、どの文書で、どのように展開してきたのかを、2000年以下のプロセスを分析してみたものです。
 この表で「標準目標」と「学テ」の項目だけみていきますと、実は、この部分が、初期段階では展開しておらず、2003年の中教審答申が、「学習指導要領の基準性の明確化と、歯止め規定の見直し、補充的な学習・発展的な学習の例示」及び、「学テの実施」を結論として出してきました。その後、学テ部分ははっきり出てきませんでしたが、2005年の経済財政諮問会議に出された有識者議員提出資料では、それまでの学校選択と学校設置主体の多様化という提言を発展させて、「評価の充実」ということが打ち出されました。それに伴い、「外部評価を行い、評価結果を公表するシステムを確立する。文部科学省は17年度内にガイドラインを確定する」ということが明記されたのです。これをうけて、2005年の骨太方針では、予算全体の傾斜配分のありかたを示す文書とは思えないほど大量の教育に関する記述がなされました。
 すなわち、2005年から、いよいよ、学テと評価に向けての動きが開始されて、最終的には、2005年の10月に出された、中教審答申「新しい時代の義務教育を創造する」において、文部科学省も学テ政策を受け入れるということになったわけです。したがって、教育基本法改正の動きを見る場合に新自由主義改革の流れをみないと、改正がなぜなされようとしているかは、なかなか見えてこないだろうと思います。
 
●今国会の一番の特徴
 
 その上で、164国会における審議を振り返ると、今回の国会の一番大きな特徴は、「民族国家論」が、改正論に合流してきたことです。「民族国家論」は、「立憲主義国家論」と対になる概念です。立憲主義国家論とは、個人が個人の自由を保障するために、合意に基づいて国家が存在するというものですが、そのような立憲主義国家概念を教育基本法の中からできるだけパージして、伝統とか、血とか、歴史、民族といったものでつながった国家を可能な限り前面に出すという議論が、民主と自民の両方から出されているわけです。これが今国会の議論の大きな特徴です。
 しかし、このような議論は、「教育外在的」な議論であることは間違いなく、むしろ憲法改正に向けて立憲主義国家をできるだけ排除したいという動きであり、そして、今国会におけるこのような動きは、相当力が強いものであることが特徴であります。すなわち、新自由主義と新保守主義の「合体」というところを遙かに超えて、立憲主義そのものに対する攻撃を、教育基本法改正を期にやってしまおうという勢力が、わっと合流してきたわけです。
その上で、政府案対民主案の対立は、それほどのものではないということがわかってきました。
 「愛国的態度か愛国心か」の対立については、実は前文に置くのか本文に置くのかの対立であったり、宗教的情操については実際には対立がなかったり、「不当な支配」を残したことについて政府案にどれだけ意味があるのか不明であったりするわけです。
民主案における教育行政の一般行政への吸収についても、これは自民からプランの未成熟性を批判され、民主案が腰折れになったという状況です。また、民主案の「目玉」といわれている「国の最終的責任」についても、民主案に出されている「国の最終的責任」の意義は、政府案と全く違いがないということが明らかとなりました。
 唯一残った民主案の優位性としましては、「財源確保と無償制」があげられるかと思いますが、しかし、民主案における教育とは、全て個別に行われるものであり、子どもの持っている能力に応じて行えばよいというものです。学校体系を複線化して、その上で無償性を導入すれば良いというプランになっているわけです。従って民主案の無償制も財源確保も、我々の考えるような教育における平等をイメージしているわけではないのです。
 164国会では、愛国心 対 良心の自由というところに、教育基本法改正反対派の議論も集中していたわけですが、これは、志位委員の質問に対する小泉発言を機に一気に拡大するわけです。すなわち、「通知票の『愛国心評価』など、必要ない」という小泉発言を機に一気に「愛国心」対「良心の自由」の議論が拡大したわけです。
ただ、小泉発言は「毛バリ」であった可能性もあると私は考えます。志位委員は、学力テストの問題についても質問したのですが、小泉首相はこの点について、一切譲ろうとしなかったわけです。すなわち、新自由主義については一切譲らず、多少愛国心のところでは譲歩してやってもいい、そこで毛バリを見せた、という可能性も十分あるわけです。新自由主義に対する防衛力は相当に強く働いていると、このようにみた方がいいと思います。
では、新自由主義が今国会ではどのように取り上げられたのかについてですが、糸川委員がした質問の応答の中で、政府は、確実に新自由主義的な施策を実行するということをいっています。そこでは、国家がインプット、つまり教育内容を統制して、アウトプット、つまり評価を行う。インプットとアウトプットは国家が統制して、その中間部分だけを地方に行わせるという姿勢が明確に現れているのです。しかも、教員統制の方法として、学校評価、教員評価を使うということも明言しています。
 さらに、例の与党協議会の座長の保利耕輔ですが、その質問において、「後期中等教育の高校が、法律上曖昧ではないか」といったわけです。「私は高校教育を、大学準備教育と職業準備教育にわけた方がいいと思う」という言い方をして、それに対して小坂文部科学大臣もこれに同意する発言をしたのです。つまり、日本における新自由主義というのは、高校教育を普通教育として位置づけないということまでプランの中に入っていたことが今国会でわかりまして、このことのインパクトは相当強いものと考えられます。60年代からあった高校増設運動の成果は、今度の教育基本法改正で、木っ端みじんにされる危険性があるわけです。
 しかし、批判的追及は志位委員と笠井委員からなされたのみで、高校問題、教師の問題、評価の問題は、現在全く手つかずのままです。
 
●残された課題
 
 教育基本法改正議論において、「新自由主義」対「教育の自由・教育の平等」という構図を早く出さないと、教育に関連する教育基本法改正の問題点を明らかにしないまま、改正案が通ってしまうという危険性があります。
一番重要な点は、今、教育基本法「廃止」によってなされるであろう教育政策について、教育的観点からその当否がきちんと議論され、あるいはそれに対する相当に批判的な議論が国会内で巻き起こらない限りは、今の動きを押しとどめることはできない、ということです。特に学テ訴訟最高裁判決は、国による教育における一方的な観念の押しつけを禁止しているわけですが、世論が、改正案が一方的な考え方を強制しているのだという形で盛り上がらない限りは、改正案が違憲であるという主張が、実際上できないことになるわけです。教育論が非常に重要で、今それをやらないと、改正の動きは押しとどめようがないということになってしまいます。
 もし、今日の一日のシンポジウムが終わった後、やはり、新自由主義教育改革の持っている問題点を教育的に議論しなければならない、それを明らかにしなければならないという合意ができたならば、是非、皆さんには、夏休みの間にそれに向けての情報収集とその分析をしてほしいし、それを皆さんと一緒になって、国会にインプットするということをやった方がいいのではないかと思います。
 やり方はいろいろありますが、首都圏ネットワークが開発したロビー方法に、国会内の会議室を借りてポスターセッションをやるというのがあります。朝、ポスターを貼りだし、夕方撤収する。これを3、4日続けて議員・秘書にそこに来てもらい、時間があるときには議員・秘書に大量の情報をレクチャーするというものですが、これは、教育基本法改正という非常に大きなテーマにふさわしいものであると思います。これはあくまで個人的意見ですが、皆さんの合意ができれば、実現できればと思います。

▲上へ

 © Copyright 2005 DCI-Japan All Rights Reserved.