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奈良放火事件から考える
木附千晶(『子どもの権利モニター編集長』)
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児童虐待がクローズアップされるなかで、虐待(不適切な養育)を受けた子どものトラウマや虐待の世代間連鎖などの研究が進み、アタッチメント(愛着)という概念が再び注目されています。
健全なアタッチメントが形成されることにより、子どもは「自分は愛され、保護されている」と感じ「外界は安全なもの」ととらえることができます。こうした健全なアタッチメントの形成には、いつでも自分に目を配り、自分の気持ちに寄り添ってくれ、自分の欲求に応えてくれる養育者の存在が不可欠です。
不幸にもそのような養育者に巡り会うことができず、健全なアタッチメントが形成されなかったとき、子どもは安心感を持つことが出来ません。外界は恐怖に満ちた場所となり、端から見ればなんということはない小さな刺激にも過敏に反応するようになります。「守られている」感覚がないので自分で自分を守ろうとするため、いつでも臨戦態勢を取らざるを得ないのです。今どきの言葉で言えば、「キレやすい」ということです。
●長男は「守られている」感覚を育てられたか
6月20日に奈良県田原本町で高校生1年生の長男が自宅に放火し、継母と弟妹の三人を殺してしまうという事件が起きました。
報道によると、長男の家は近所でも評判の教育熱心な家庭でした。勉強部屋をICU(集中治療室)と呼んでいた父親は、長男が小学校の頃から夜遅くまで勉強を教え、成績が下がると殴ることもありました。
事件は、継母が成績表を受け取る予定だった保護者会の日に起こりました。英語の試験のできばえを偽っていた長男は、継母が保護者会に出席すれば父親に嘘がばれてしまうことを恐れていたそうです。継母が父親に何でも告げ口する人だったということも、一因だったのでしょう。継母の告げ口が原因で父親に殴られたこともあったそうですから。
そのような家のなかで、はたして長男は「守られている」感覚を育てられたでしょうか?
中1の頃は継母に反抗したこともあったけれど、中3になってからの母子関係は悪くなかったとの報道も気になります。思春期の反抗は、おとなになるために必要なものです。そうやって親や社会の価値を壊し、自分らしさを確立していきます。おとな側からみれば許し難い反乱である反抗も、子どもにとっては成長のステップです。
何を言っても聞こうとしない両親、怒っても、暴れても、自分の気持ちに気づこうとせず、力で押さえ込もうとする両親に反抗することさえ「諦め」たとき、長男の心にはどんな思いが渦巻いていたのでしょうか。
●両親だけを責めても解決しない
けれども、両親だけを責めてもことは解決しません。なぜ父親は、ここまで長男を追い込んでしまったのでしょう。どうして忙しい医師という仕事をしながら、真夜中まで付きっきりで勉強させ、成績が下がれば殴る必要があったのでしょう。継母が最近ふさぎ込んでいた長男の辛さに気づいてあげられなかったのはなぜなのでしょうか。
多くの親がそうであるように、おそらくこの父親も長男が生まれたときは喜でいっばいになったことでしょう。生まれたての子どもが持つ、あふれるばかりの生命力と可能性に心を躍らせ、出来る限りの愛情を注いで"立派な人間"に育てたいと思ったのではないでしょうか。
世間様から後ろ指をさされることのない"立派な人間"。・・・頭が良く、肉体的にも優れ、規範意識を身につけた人間。そんな人間になって欲しいと父親は望み、継母もまたそう思っていたのではないでしょうか。
進学校に通い、サッカーが上手で、小学校時代の作文で「戦争とは、永久にしてはいけないもの」「病気や飢えで苦しむ世界の人たちを助けるために医者になりたい」と書いた長男は、そんな両親の望むとおりの人間になろうと賢明に頑張ってきたに違いありません。
もしかしたら、日本社会の価値観をすっかり取り込んでいた両親は「愛情とは、みんなに一目おかれ、社会のルールに従うことができ、社会に役立つ人間に育ててあげること」と思っていたのかもしれません。教育基本法「改正」論者たちが言うように・・・。
●事件は人生をかけたメッセージ
今の教育基本法に規定されているとおり、教育とは人格の完成(精神的にも肉体的にも調和の取れた創造的な生き方のできる人間)を目指すものです。「人間教育」を目的とした教育基本法の理念は、子どもの全人的な発達を保障するためにつくられた子どもの権利条約にも通じます。
ところが教育基本法「改正」案は違います。すべての子どもの人間としての成長発達を目指す人間教育ではなく、「国に役立つ人材育成」、すなわち国策教育を目指すものです。平たく言えば、子どもたちは、ときの政府に都合のよい価値観や道徳を教え込まれる一方、国の発展に役立つエリートだけが優遇される教育へと変わります。ますますエリートへの階段は狭き門になるばかりです。
それでなくても、「構造改革」や「自由競争」という名で学校の序列化や子どもの選別が始まっています。さまざまな問題を引き起こしたため、約50年間行われていなかった全国一斉学力テトを再開(07年度より)する方針も固められました。
公的資金の削減が次々と行われるなかで、親たちには自己決定と自己負担の重責がのしかかっています。教育熱心な親は、学校選びに戦々恐々とし、わが子に少しでも早く勝ち組へのパスポートを握らせようと「これがあなたのため」と言いながら、「愛情」と「善意」でわが子を追い込みます。
子どもたちは「親に愛されたい」、「親の期待に応えたい」と満身創痍で頑張り、精一杯演技を続けます。けれども一生それを続けられる子どもは少数です。なかには「もう親の期待には応えられない」「自分はなんてダメな人間なのだろう」と感じ、自己破壊や他者破壊へと追い込まれる子どもも出てきます。
教育基本法が「改正」され、自治体間や学校間、家庭間の格差が広げられていけば、強迫的にエリートへの道を目指す親子と、最初からすべてを諦めて無気力になる親子が増えるでしょう。
教育基本法「改正」案が継続審議になりました。長男の、人生をかけたメッセージを無駄にしてはなりません。
※この原稿はIFF相談室ホームページ「カウンセラー木附が語る『子どもと社会』」より転載いたしました(一部変更有り)。
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