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“日本版ゼロトレランス”と
新管理主義教育の問題点


金子隆弘(DCI日本支部会員)
 

 

1、「子どもに対して寛容さゼロ」の「生徒規律指導」論少年法改悪の動向と連動して、教育再生会議や文科省は、学校教育の厳罰化を打ち出しています。本稿で問題にするのは、文科省が、米国流「ゼロトレランス」の考え方に基づいて、規律と罰則を強化しようとしている問題です。例えば、「毎日新聞」は、国立教育政策研究所が昨年5月に公表した『「生徒指導体制の在り方についての調査研究」報告書―規範意識の醸成を目指して』(以下、「国研報告書」と略)を、直ちに取り上げ、「米国流『ゼロトレランス』(寛容度ゼロ指導)を下敷きに文部科学省などが生徒指導厳格化の方策をまとめた報告書は、小中学校に対し、問題ある児童生徒への出席停止措置を『ためらうな』と強い調子で促す。だが、校長や現場教師からは『生徒との信頼関係を損ないかねない』と悩む(声が出されている)」と書いています(06年5月23日付)。

もともと、「ゼロトレランス」は、1997年に、クリントン大統領による呼びかけによって、全米に広がっていった方式です。つまり、学校内の「規則を強化し、規則違反者には、厳罰主義で対応し、問題生徒を言葉で指導するだけでなく、必ず罰則を与え、責任をとらせる方針」が提唱され、「麻薬や銃やナイフの所持に関しては、即刻放校処分にする、教師に対する暴言、不服従は、停学処分、度重なれば放校処分にする、遅刻は一、二度は居残り、三度目は、土曜出校にする、等の措置」が採用されるようになるのです(加藤十八著『アメリカの事例から学ぶ学校再生の決め手―ゼロトレランスが学校を建て直した』学事出版)。このように、「ゼロトレランス」とは、学校から銃や麻薬を排除するために、放校処分も含む厳罰主義で対応する方式のことですが、同時に、児童生徒を学校の規律に服従させるための“生徒規律指導”でもあるのです。今日、文科省が日本に導入しようとしている方式は、主に、後者の側面の「ゼロトレランス」です。

 米国流「ゼロトレランス」が日本に紹介されるのは、2000年夏頃ですが、文科省は、長崎佐世保の事件等をうけ、「新・児童生徒の問題行動対策重点プログラム」を検討する過程で、「学校内規律の維持を指向する『ゼロトレランス(毅然とした対応)方式』のような生徒指導の取組みを調査・研究する」ようになります(05年)。実際に「生徒指導体制の在り方についての調査研究」チームが設置され、昨年5月に、その調査研究を反映した国研報告書が公表されるのです。そして、この報告書を契機に、文科省は、子どもの「規範意識の醸成」を促進する施策として、米国流ゼロトレランスの考え方に基づく「これからの生徒指導体制の在り方」を打ち出すのです。

 

2、環境犯罪学の理論(割れ窓理論)に基づく、規律と処罰に関する「段階的指導」方式国研報告書は、〈大きな問題行動に発展させないために、小さな規律違反も曖昧にせず、段階的に処罰を重たくする「段階的指導」方式〉を提示しており、国研は「アメリカで広く実践されているゼロトレランスのような指導方式とも、深く関わってくる指導」と解説しています(国研のHP)。この学校規律に関する「段階的指導」方式の背景となっている理論が、治安対策として有名な「割れ窓理論」です。実際に、国研報告書作成チームに参加した藤平敦氏(公立高校教諭)は、「『割れ窓』理論の生徒指導―ゼロトレランスが学校の秩序を回復する」という連載を開始しています(月刊『学校マネジメント』07年4月号。以下、「連載」と略)。ここで言う「割れ窓理論」とは、「たった一枚の窓ガラスでも、放置して置くと、管理されていないと認識され、割られるガラスが増えるという犯罪学の考え方」のことです(月刊『生徒指導』06年10月号の藤平敦論文)。例えば、文科省は「小さなこともおろそかにせず、『ならぬものはならぬ』として、違反行為に対してはあらかじめ定められた罰則を適用し、教師が学校全体で一丸となって指導が『ブレる』ことなく、毅然とした粘り強い指導を行っていただくようにする」と力説しています(文科省「生徒指導メールマガジン」20号)。こうした学校規律に関する「段階的指導」方式は、小学校課程から考えられているものですが、ここでは、高校を例に説明します。これは、ゼロトレランスを取り入れた県立M高校における事例ですが、《高校生に対し、無断欠席や茶髪・ピアスは一点、喫煙は四点、対教師暴力は九点というような処罰基準を事前に明示・徹底し、累積で十点になった時点で、直ちに退学にする》というものでした。この事例は、「割れ窓理論」に基づき、校則を厳しくし、それを教師が厳格に運用する管理主義的手法の典型例ですが、この場合、高校生は、規則に従わなければ、選択の余地のない結果(=退学)になることを完全に理解していなければなりません。そして高校生は、その怖れから“学校の権威に服従する術(すべ)”を体得し、次第に“学校規律に対する服従心”をもつようになるだろう、という理屈です。同じ理屈で小中学生に対する管理主義を強化するのが、「寛容度ゼロ」方式です。そのため、国研報告書は、小中学校における「出席停止制度の有効活用」を強調しているのです。

3、「日本型ゼロトレランス」米国流ゼロトレランスは、規則違反生徒に対する処罰基準を明確にし、それを問答無用で運用する機械的な懲戒方式です。しかし、文科省は、この方式について「学校規律という身近で基本的な規範の維持を指導・浸透させる過程で、児童生徒の規範意識を育成するという観点から参考とすべき点が少なくない」と評価し、「日本型ゼロトレランス」を提唱しています(「生徒指導メールマガジン」16号)。実は、“生徒規律指導としてのゼロトレランス”は、かつて日本において実践されていた管理主義教育を「米国が参考にして考案」したものです(#)。そして、文科省の人々は、現代風の管理主義教育を推進するために、「単に旧来の日本の方式に戻るのではなく、ゼロトレランスというエキスを含んで逆輸入した段階的方式を、さらに現代の日本流にアレンジ」しようとしているわけです(#)。

〔#=カギ括弧内は、「連載」よりの引用。なお、「旧来の日本の方式」とは、80年代後半に、文部省が「校則の見直し」を打ち出す以前の管理主義教育のこと〕

4、今なぜ、「ゼロトレランス」か?今日、「寛容度ゼロ」の管理教育が推進されようとしている背景には、大きな理由があります。それは、現代日本の子どもの多くが、学校で競争的環境の下におかれ、家庭生活等で格差や貧困の下におかれる中、困難やストレスを増大させ、非行などの形態をとって“異議申し立て”をするようになりうる、と考えられているからです。そうした傾向に対し、事前に対処するために、政府・文科省は、「教育再生」策として「規範意識の醸成」を重視しているわけです

例えば、国研・生徒指導研究センター統括研究官の森嶋昭伸氏は、「寛容さゼロ方式」導入の背景について、「社会の厳罰化が進んでいるのだから、学校でもそれを実感させなければならない」と語っています(アサヒコム07年1月17日付の記事「規律厳守の生徒指導、違反たまると退学も−高校で試み」)。森嶋氏は、「警察庁少年非行防止法制に関する研究会」の委員にも就任し、格差拡大社会で生じる“少年たちの異議申し立て”に対処するために、日本社会を厳罰化している人物です。そうした立場で、森嶋氏は“学校でも厳罰化社会を実感させなければならない”と述べているのです。

また、国研報告書作成チームの主査を務めた明石要一千葉大学教授は、「規範意識が希薄になり子どもの『先』が読めない時代にあっては(中略)、カウンセリング的なガイダンスアプローチだけでは無理」になったので、「“日本版ゼロトレランス”の生徒指導」が求められていると説明しています(月刊『悠プラス』07年4月号)。そして、明石氏は「今の学級崩壊、校内暴力、不登校、いじめなどは、以前のような『あの子なら』ということが予測しにくく、どこに“地雷”が埋められているかわからなくなっている。こうした問題行動は、特定の子どもではなく、『どの子にも起こる』のである」とし、だから「ゼロトレランスのような生徒指導体制が求められるようになった」と説明しているわけです(前掲『悠プラス』誌)。

5、子どもの権利に反する「ゼロトレランス」方式。

 国研報告書は、セロトレランス方式に基づく、日本の実践例として、「ある中学校」の事例、「ある県立高校」の事例、「ある私立高校」の事例をとりあげています。この3事例のうち、高校の事例は、高校名を特定できる事例ですので(私立G高校、県立M高校)、具体的に考察します。

 まず、私立G高校のゼロトレランス方式の問題点です。私立G高校では、教師達が加藤十八著『アメリカの事例から学ぶ学校再生の決め手―ゼロトレランスが学校を建て直した』を研究した上で、102項目の「生徒指導ガイドライン」を作成し、その処罰基準に基づき、マナーや規則違反生徒に対し、厳格な対応をおこなっています(02年度より)。このガイドラインでは、以下のように「レベル1」から「レベル5」まで区分されています。

●【生徒指導ガイドライン】の概要。

レベル1服装や身だしなみ/授業時のマナーや携行品/校内でのマナー/登下校時のマナー。
レベル2授業妨害/自転車の2人乗り/無断アルバイト。
レベル3喫煙、喫煙具所持/無断外出・早退/授業時の校内徘徊/運転免許不正取得/バスや電車の不正乗車/18歳未満禁止場所への出入り/テストでの不正行為/賭け事/飲酒/怠学行為。
レベル4無断外泊/深夜徘徊/深夜アルバイト/けんか/家出。
レベル5対教師暴言、反抗、暴力/窃盗、万引/恐喝/校舎などの破損、公共物破損または落書き/いじめ/無免許運転/暴走行為/シンナー、薬物乱用(即退学)/不純異性交遊(即退学)。

 私立G高校の担当教員は、「厳しい規則に息苦しさを感じる生徒もいるかもしれない。けれども、それは、わが校の生徒を礼節のある、立派な社会人にするためなのです」と語っています(私立G高校のHP)。こうした理屈は、典型的なパターナリズム(父性的温情主義)の考え方です。つまり、「あなたのために、あなたの駄目なところを直してあげているのよ」という言い方で、おとなの側が「子どもの最善の利益」を一方的に決定し、それを子どもに押し付けながら、子どもの権利や子どもの声を潰していく理屈です。こうした“パターナリズム”は、「少年非行防止法制に関する研究会・提言」関連資料の中にも登場する考え方であり、子どもの権利に反するものなのです。

次に、「県立M高校」における事例ですが、この高校の事例については、既に紹介した通りです。国研報告書は、県立M高校において「教師の対応に差がなくなり、年間の遅刻は3分の1、早退は2分の1に減少」し、「生徒の暴力行為や喫煙も減少」したとしています。確かに、数値は変化していますが、県立M高校の教師達には「晴れ晴れとした感慨」はなく、「この方式をやめるころには、教員の悩みも膨らんでいた」というのです(詳細は、西日本新聞06年7月2日付のルポ的記事「『寛容さゼロ』の効果と限界」参照)。県立M高校は、学校の落ち着きが回復したため、「寛容さゼロ」方式をとりやめますが、「その際、教員間では『もっと生徒と積極的にかかわり人間関係を築く姿勢が前提にあるべきだ』などと自省の弁も上がったという」のです(前掲・西日本新聞の記事)。結局、県立M高校の教師達は、“子どもへの管理主義の徹底が、どんな事態をもたらしてしまうのか”について、「寛容さゼロ」方式を取り入れた3年間の体験を通じて、ようやく気づくのです。例えば、県立M高校の生徒指導主任は、「我々は警察ではない。子どもを育てる現場で、機械的な対応で良いのか」と反省的に振り返っているようですが(前掲アサヒコムの記事)、M高校の教師達は、「寛容度ゼロ指導」による管理強化ではなく、人間関係を築きながら、子どもを育てていくことの大切さに気づくのです(県立M高校は09年廃校予定)

本来、教育という営みは、教師と子どもとが「自他の敬愛と協力によって文化の創造と発展に貢献する」営みなのであり(47年教基法の第2条)、優れた人間関係を築きながらすすめていく営みです(子どもの「育ち」の保障)。逆に「管理主義教育は生徒を遠くへ追いやるもの」なのであり(注)、「自他の敬愛と協力」という教育理念に反しています(注=三宅良子「私の視点」、朝日新聞07年1月20日付より)。つまり、「ゼロトレランス」は、「自他の敬愛と協力」という教育理念を壊してしまう非教育的な方式なのです。

子どもの権利条約は、子どもの成長発達を重視し、子ども声を尊重する立場から、第28条で、「学校懲戒(学校の規律)が子どもの人間の尊厳に適合する方法で及びこの条約に従って運用されることを確保する」と定めています。逆にゼロトレランスは、子どもの成長発達や子どもの声よりも、学校の評判や学校の秩序の方を最優先する立場から、学校側が決定した基準に基づき、機械的に子どもを処罰する方式であり、子どもの権利条約に反する方式なのです。


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