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「総合的な学習の時間」問題とそのゆくえ
鈴村明(DCI日本支部会員)
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この間、中山文科相は「総合的な学習の時間」を削減し、教科の時間を確保し、「学力」重視の路線に切り替える方向性を示唆し、ゆとり教育からの大きな転換をはじめています。中山大臣の考えは、1996年の中教審答申(「生きる力」答申)に基づいた文教政策を大きく軌道修正するものですが、2月20日のNHK日曜討論で「(総合は)廃止はしない」と発言していますので、あくまで削減であることは明らかです。中山大臣にとって重要なのは、国際競争力に勝つために「学力」競争でも日本が高位置を維持していなければならないという「国益」重視の強い信念なのです。そして中山大臣は、競争主義的なテスト重視の文教政策を開始しようとしています。
「総合的な学習の時間」は、ある意味で転機の中にあるわけですが、そうした中で、「総合的な学習の時間」をめぐる問題について改めて考えてみたいと思います。
■文科省が考える「生きる力」
「総合的な学習の時間」を推進する著名な教育学者は、中教審「生きる力」答申の判断を"正しい"と強調しています(門脇厚司氏)。しかし、変化の激しい時代を生き抜くための力を重視する教育理念は本当に正しいのでしょうか?
文科省が言う「生きる力」とは、大競争時代をくじけることなく生きぬく力のことを意味しています。
大競争時代における生涯学習力の育成を重視し始めた文科省周辺には、先進各国とも、この力の育成を重視しているという判断があったわけです。ある教育委員会は、次のように書いています。
「21世紀の世界はグローバル化がさらに進み、大競争の時代になると言われており、自己決定、自己責任が重視される本当の意味での競争型社会への転換が始まっています・・・我が国が21世紀のグローバルな競争時代にさらに発展していくためには、一人一人の個性や能力などの優れた面をしっかりと伸ばすとともに、生涯を通じて学ぶ姿勢を持ち、新しい時代や社会の変化の中で創造性を発揮して、たくましく生きていくことのできる人材を育成することが重要です」(新潟県教育委員会第8次総合教育計画)
文科省的な「生きる力」論は、当人の自己決定、自己責任が重視されるような本格的な競争型社会に適応するための力=「生涯を通じて学ぶ姿勢」であり、「生涯学習力」のことを意味しています。
教育課程審議会の委員を務めたある教育学者は、「総合的な学習の時間」創設の背景についてリカレント時代という言葉を持ち出して説明しています。将来の日本社会は、終身雇用制が崩れているので、繰り返すリストラに対して再就職のために資格習得をおこなう生涯学習をし続けなければならない。そうしたリカレント時代に生きていく準備を小さいときからしておかなければならないので「総合的な学習の時間」を導入したというのです(上杉賢士『総合的な学習を楽しむコツ=チャータースクールからの示唆』明治図書。リカレントとは、一度社会に出た者が学校やそれに準ずる教育・訓練機関に戻ること)
一方、国立教育政策研究所の奈須正裕氏(現・立教大教授。「総合的な学習」の権威)は、「総合的な学習」を通じて多様な能力が開発された人間は、企業内で有用な人材となるので生涯賃金がアップすると説明しています(『学力から人間力へ』教育出版)。
前者は、いわゆる「非エリート」向けの説明、後者は「エリート」向けの説明になっています。このように、文科省は、子どもの近未来(先行き不透明な時代)の利益になるという理由から、国家が公教育に深く介入し、競争型社会に適応できる力を小学校の時から身につけさせるための時間を設定した、という事情があったわけです。ですから、この時間の設定の背景には、強いパターナリズムの考えがあるといえますし、学習権保障や主権者育成の視点が極度に弱いのも、そのためです。
(※パターナリズム=本人の利益のためという理由から国家が介入あるいは干渉すること)
■「総合的な学習の時間」は、文教政策上の用語
先の国研の研究員は、「総合学習」(合科学習)と言う教育用語でなく、「総合的な学習の時間」という政策用語をわざわざ使ったと説明していますが、この点も注意が必要です。
実際に、この時間の活用が各学校の裁量に委ねられていることから、特色のある学校づくりが促進され、学校選択制(学校の「自由化」)が加速されたという経過もあります。
この時間は「自ら課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する資質や能力を育てること」を主眼にしていますが、実社会でそうした自己決定・自己責任能力を最も発揮しているのは大企業≠ニいう判断から、米国大企業の関係者をよんで総合の時間をおこなっている中学校も登場しています(墨田区のK中)。そして杉並区のように、「総合的な学習の時間」の一部で「学び科」カリキュラムを新設する際に、それを三菱総合研究所Eガバメント研究センターに全面委託するという事態も生まれているわけです(「学び科」開発に協力する教育研究者は、門脇厚司氏、上杉賢士氏他)。
このように、「総合的な学習の時間」を契機にして企業のノウハウを取り入れる道筋も生まれています。
■「学力低下」と問題体験学習
歴史的にいえば、「総合的な学習の時間」は、1947年及び51年版学習指導要領の生活単元学習と類似した考えに基づいた教育課程で、問題解決能力や体験学習を重視する時間です(奈須氏)。文科省関係者も「算数で角度を学んだ後に、総合で測量ごっこを体験する」式の説明をしています(寺脇研氏)。
過去、生活単元学習によって「学力低下」現象が生まれ、その後、文教政策が詰め込み路線に転換していった経過があり、生活単元は短命で終ったわけですが、今また似たような流れが繰り返されようとしているように感じられます。
戦後直後の生活単元にも〈良さ〉があったように、「総合的な学習の時間」の場合も、現場教師の努力で、子どもにとって有意義な「総合学習」をつくってきた経験があると思います。文教政策上は、「将来大変な社会になるから、そのときに君たちにとって役立つ力をつけるための時間なんだよ」と説明することになってしまうのですが、肝腎な点は、今を生きる子どもにとって有意義な学びの時間になっているのかどうかという点にこそあります。子どもの知りたいことや疑問に応答しながら、子どもの学習権を保障する時間に切り替えていく視点を堅持することが大切なのではないでしょうか。
戦後直後の、文部省が教育基本法の精神を根付かせる姿勢をとっていた時期と異なり、現在、教育基本法の改悪がすすめられようとしています。そして何よりも「子ども期の喪失や剥奪」の連鎖が続いている状況にあり、子どもの生きる力や学力の問題などを議論する際に、そうした根本問題をふまえることを忘れてはならないと思います。
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