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「発展的な学習」と教科書――何が問題か


吉田典裕
(出版労連教科書対策部事務局長)

はじめに


 今年4月から小学校で使用される教科書には、これまでにない一つの特徴があります。それは「発展的学習」に関する記述があることです。これについて、何が問題なのかというのが編集部から与えられた課題です。限られた紙幅の中ですが、見ていくことにしましょう。
 

「発展」導入の経過


 2002年度から全面実施された現行学習指導要領が告示されたのは1998年でしたが、実施前から「学力低下」が進むとの批判がいろいろな分野から上がり、全面実施を前にした2002年1月、文部科学省は「確かな学力の向上のための2002アピール 『学びのすすめ』」(以下「学びのすすめ」)を発表し、「発展的な学習」を導入すると述べました。
 文部科学省は(旧文部省も)これまで一度たりとも誤りを認めたことがありません。「学びのすすめ」でも「学習指導要領の基準性の一層の徹底」(傍点引用者)と強調しています。学習指導要領はもともと最低基準だったのだというわけです。これはマスメディアのいうような「文部科学省の路線変更」ではなく、教育内容の厳選という路線の幹に、「発展的学習」を接木したようなものです。
 

教科書検定に持ち込まれた二重基準


 現行学習指導要領は、全面実施後わずか1年半の2003年12月には早くも一部改訂を余儀なくされ、教科書に「発展的学習」を載せてもよいということになりました。
第1の問題は、教科書検定にダブル・スタンダード(二重基準)が持ち込まれたことです。これは文部科学省のこうした混迷が教科書検定に影響を及ぼした結果といえるでしょう。一方ではこれまでどおり「不必要なものは取り上げていないこと」(教科書検定基準)として学習指導要領からの逸脱を認めない検定を行い、他方では逸脱させる「発展」的記述を認めるわけです。
 ところが通常の記述と「発展」との境界線には明確な基準がなく、著者・編集者が通常の記述と判断したものが「発展」として別扱いを求められたり、その逆があったりという事例が多発して、教科書の系統性は台なしにされています。編集作業も、小学校用教科書に続いて中学校用教科書でも大きな混乱を余儀なくされています。
 

「発展」は教科書の自由を拡大したか


 第2の問題は、「発展的学習」が教科書の自由を拡大したのかということです。結論からいえば、全然そうはなっていません。
前述のように従来どおりの検定に加えて新たな検定の枠組みが設けられました。「教育内容の厳選」として教科書に載せられなくなった記述を「発展」の箇所で復活させた実例はいくつもありますが、すべての子どもが学ぶ箇所ではないという位置づけでの記述ですから、これはやはり後退です。検定基準では「発展」は「必ずしも全員が学必要はないこと」を明示せよということになっており、教科書の自由を拡大するどころか、学力保障という観点から見れば、教科書がすべての子どもに学力を保障するための最低限の共通教材から、選別の道具へと変質させられたともいえます。
 「発展」の分量についても問題があります。文部科学省は「発展」の分量の限度について義務教育では1割程度、高校では2割程度としていますが、このことの教育上の根拠をまったく示していないのです。それどころか、分量制限については検定の「ルール」であるはずの検定基準にも検定実施細則にもなく、教科書協会を通じての編集者からの質問に回答したものにすぎません。教育上も法令上も根拠のない検定が行われていることになります。
 

「発展」は何をもたらすか


 最近の新聞報道で小学生の4割が「天動説」を信じていると報じられたり、OECDの調査で日本の子どもたちの学力低下が明らかになったりしています。「発展的学習」付きの教科書で学べば、こうした事態はいっそう深刻になるでしょう。しかしこれらは、「エリートづくり」と圧倒的多数の切り捨てという文部科学省の路線からすれば、むしろ望ましいとすらいえるでしょう。
 「発展的学習」導入の意味を大きくとらえれば、文教予算の全体的削減という基本路線を変更することなく、そこにもう一方のねらいである「エリートづくり」も不可能になると危惧した財界からの批判に応えようとしたということでしょう。これではグローバル競争に勝ち抜くための人材が育たないというわけです。現行学習指導要領への批判が理科・数学に集中しているのは、その証拠です。財界としては文教予算全体は削減したいものの、科学・技術立国の基礎が揺らいでは困るわけです。現行の「発展的学習」は、「一学年上」の内容を「教科書全体の一割程度」の限定つきで掲載するわけですから、過大な「期待」はできません。実際、4月から使用される小学校用教科書では、「発展」を強調したような教科書はほとんどありません。「練習」などと区別がつきにくいように意識して編集されたものと思われます。教科によっても大きくばらつきがあり、「発展」のほとんどない教科書もあります。著者・編集者の、「選別」のための教科書づくりへの抵抗の結果ともいえるのではないでしょうか。
 こうして「エリートづくり」には、教科書内容をはるかに超える「エリート候補」向けの教材が求められるでしょう。そうした教材は、その負担が可能な家庭だけが購入すればよいものと位置づけられるものです。教育の機会均等を崩壊させることにつながるでしょう。
それは義務教育の無償を定めた憲法26条を空洞化させ、公教育の解体につながるものでもあります。教科書への「発展的学習」の掲載は、たんに教科書の問題にとどまらない大きな問題を内包しているといえます。
 
 
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