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2011年4月15日
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| 東日本大震災と福島原発人災に際してのDCI日本アピール No.1 |
子どもの権利条約の原点を踏まえた
新たな社会の創造を!
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3月11日の東日本大震災と福島原発人災で、3万人におよぶ方々が亡くなられたり、行方不明になられ、また何十万人もの方々が被災されました。心からご冥福をお祈りし、お見舞い申しあげます。
今回の非常事態を通して、なんと多くの子どもたちが、言うに言われぬ恐怖を体験し、命を落とし、身近な人を失い、不自由な避難生活を強いられていることでしょう!
『生きていてくれたんだね! ありがとう!』
『怖かったね! もう大丈夫だよ!』
『良い子でなくたって、がんばらなくたって、勉強なんかできなくたっていいよ!』
『ずっと一緒に生きていこうね!』
子どもが、今、真に必要としているのは、「この人となら生きられるんだ、生きて良いんだ」という自己肯定感と「人は信頼できるんだ、この人もわたし/僕を必要としているんだ」という共感能力を生み出してくれる、身近に寄り添ってくれる人との継続的な「受容的・応答的な人間関係」です。この「受容的・応答的な人間関係」を紡ぐことこそ幸せに生きることであり、子どもの権利条約の原点です。災害と人災によってそれを奪われた今だからこそ、私たちは、その大切さが身にしみます。
ひるがえって考えてみると、今回の大災害と人災がなくても、実は日本の多くの子どもたちは、日常レベルですでに非常事態に陥っていたのではないでしょうか。身近なおとなとの「受容的・応答的な人間関係」が保障されないために、孤独と絶望の中で"競争"に駆り立てられ、演技をし、ついには"問題行動"に追いやられる等、「子ども期」が奪われています。だから、国連は、日本の子どもの多くが、「親や教師との関係性の貧困のゆえに今を幸せに生きられない」権利侵害状況にあると認定しました(2010年6月に国連「子どもの権利委員会」から出された第3回最終所見§50、§60参照)。
「がんばろう日本」という合い言葉のもと、日常への復帰と復興が急がれています。しかし、「子ども期」を奪い、人災を引き起こした日常や社会へそのまま戻って何の意味があるのでしょう。今こそ、競争と評価と効率を最優先する社会から、子どもも大人も、"人間らしく"生きられる「受容的・応答的な人間関係」を紡げる社会へと転換するときです。
まずその第一歩として、非常事態の中で恐怖と孤独に震えている子どもたちが、安心と自信を取り戻し、思いや願いを自由に出せるようになるまで、じっくりとその存在と痛みを抱えてあげられるような救済を実践しましょう。そして、子どもの権利条約の原点に立脚した社会を構築するために英知を出し合い、子どもとともに歩み出しましょう!
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