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これまでの経過
1989年11月:子どもの権利条約を国連採択/1994年4月:日本で批准/1998年6月:国連子どもの権利委員会が政府報告書を審査しそれに対する「最終所見」(第一回勧告)を採択/2001年12月:日本政府が第二回政府報告書を国連子どもの権利委員会に提出/2003年8月:第2回市民NGO報告書をつくる会は各地からのレポート248本を2年間かけて集めて統一し、レポート「子ども期を奪われた日本の子どもたち」を提出。「子どもの声を国連に届ける会」も報告書提出/2004年1月28日:第二回政府報告書を国連子どもの権利委員会で審議。1月30日:最終所見(第二回勧告)を発表
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意見表明権に対する勧告は?
小笠原:はじめに子どもの権利委員会の日本政府に対する第二回勧告についてお伺いしたいと思います。まず、意見表明権についてはどのような勧告がなされているのでしょうか?
福田:第一回のときは、意見表明権については勧告ではなくて、懸念事項に留まっていました。しかも、「子どもの参加」という表現を使っていたのですけれども、今回の場合には「子どもの意見の尊重・参加」というかたちで、子ども自身がもっている主体性を日常的な段階で表明することを尊重し、家庭で・学校・施設・国の機関などに、「子どもたちの表明する意見をきちんと尊重し、対応しなさい」という非常に詳細な意見表明権に対する勧告が出ました(勧告28項)。
小笠原:子どもたちが意見表明権行使の主体だということを明示していますか?
福田:条項の三カ所で「rights-based-approach」と記述すると同時に21項で「子どもが権利行使の主体である」ことをキャンペーンしなさいといと書かれていますが、子どもが権利行使の主体であるということはどういうことなのでしょう。その部分がきちんと理解されなければけません。
つまり権利主体ということは、権利によってもたらされる利益の共有主体なのか、権利を行使の主体なのかという問題をはっきりさせなければならないということです。それを判断するためには28・29項を合わせて読む必要があります。これら三カ所を読めば、実際に子どもが権利を使って自分の意思(欲求)を表していくという意味での権利行使の主体を意味しているということが分かるはずです。
小笠原:利益を受ける主体ではなくて、自らが能動的に意思をもって表現していく、そういう主体だという意味でしょうか?
福田:そうです。単に利益を受け取る主体だとすれば、子どもは「保護される存在」になってしまいますね。その場合保護される内容については大人や国家が全部決めますので、結局、大人が「あなたのため」と言うことを「はい」と言って聞くだけの存在に留まってしまいます。それでは権利の主体という言葉をどんなに使ってみてもほとんど無意味になってしまうでしょう。
子どもが、一人の人間として自分がちゃんとそこに存在し、意思(欲求)を表明して、「私も人間なんだよ」と胸をはって言える、その意味で自己完結的に使うことができる権利としては、意見表明権だけしかないのです。他の権利、例えば表現の自由、宗教の自由、プライバシーの権利などは、権利行使に際して親の指導・監督に服するということになっているわけで、自己完結的な権利ではないといわなければなりません。
小笠原:自己完結的な権利である意見表明権については…。
福田:誰からも干渉されないのです。
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